根性?努力?スポーツとは?
コーチ3、4のテキスト執筆の主担当を務めることになり、内容を整理中
根性とは生まれついての性根のことを指し、語源をたどると「盗人根性(ずるくていやらしい性質)」「島国根性(視野が狭く、閉鎖的な考え方)」などネガティブな言葉として使われていました
それが1960年代の東京オリンピックを契機にメダル獲得に向けた戦略として「根性論」という言葉が使用され、当時はモチベーションをあげることを狙いとしていました
その後、昭和のスポ根アニメの影響も受け、「根性論=きつい練習を我慢して継続して行うこと」というイメージが強まっていきます
そのため、スポーツ=苦しいもの(根性)、きつい練習を絶えず行い続けることが勝つためには必要といった認識が生まれます
× スポーツ=苦しいもの(根性論)⇒スポーツ離れ(スポーツが嫌い)
「努力」という言葉にも弊害があります
努力すれば全国大会に出場できる
一方で、全国大会に出場できなければ努力が足りないという考え方にも繋がります
努力の評価が試合で勝つことになっており、一生懸命頑張っているのに試合で負ければ怒られています
頑張ったのに怒られる、、、努力する意欲がなくなりますね
結果を求めるばかりにスポーツの魅力が損なわれています
優勝できなければ評価されない、オリンピックで金メダルがとれなければ評価されない、どんどん重荷が積み重なり、苦しいものになっていきます
これもスポーツ離れの要因となっています
特にジュニア期はコーチや親から随時注意を受けながら練習している場面がみられます
子ども自身で考える機会が乏しく、問題解決能力(課題を克服するための方法を自ら考える)を育むことができていません
コーチや親の顔色を伺い、怒られないようにプレーするようになります
そのような環境でバドミントンを行っている子供は、いずれスポーツが嫌いになり、バドミントンをやらなくなります
私もリトヤ(小6)、コウセイ(小2)、ユウセイ(年中)を教える時には適切な距離感を保ちながら、教えすぎないように気をつけています
褒めてあげることも大切ですね
親子二人三脚でバドミントンをするのにも限界があります
教養(物事の考え方の基になる知識)や道徳的価値観は多様な人々との交流で育まれます
閉鎖的な環境では偏った考え方になります
コミュニケーション能力も育まれません
そもそも楽しいのかな?とも思います
多くの友達とバドミントンをするから楽しい、上手くなるから楽しい、試合で勝てると楽しい、楽しいから練習する
〇 バドミントン=楽しい⇒人生を豊かにする
楽しいと思える環境でバドミントンをやらせてあげて欲しいですね